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対米追随政治の原点

 日米防衛協力指針(1978年,1997年,2015年)とその素案とも言うべき1~3次のアーミテージ・ナイ報告書,米政府の日本に対するいわゆる年次要望書などを見れば,今回の安全保障法案はもちろんの事,防衛大綱,武器輸出三原則の骨抜き,秘密保護法,原子力発電所の輸出, TPP,郵政民営化など,日本の政策のほとんどが米国の指示・要望に沿って行われていることが明白だ.2015年日米防衛協力指針(いわゆる新ガイドライン)には「軍軍間の調整所」が設置されることになっているが,軍事力の圧倒的格差,兵器の共通性,情報の格差,戦争経験の差などを考えれば,個別的/集団的自衛権を問わず,有事には自衛隊が米軍の一部として米軍の指揮の下に行動することになることは,明らかだ.
  事力を他国の軍隊の指揮の下に置くことは,究極の国家的従属関係だが,日本政府はなぜ主権を放棄するのか,しかも自発的に.あまりにも奇怪で理解に苦しむのだが,この歪んだ性向の原点は米国占領下での日米関係に遡るらしい.以下に孫崎享著『戦後史の正体』(創元社)から抜粋する.

1.戦争犯罪人処理に関わる動き
 1945年9月2日のミズリー号での降伏文書調印の後,戦争犯罪人の処理が米国の重要関心事の一つであった.この事にまつわる状況は『続 重光葵手記』にある(重光葵は当時の外務大臣).
・「戦争犯罪人の逮捕問題が発生してから,政界,財界などの旧勢力の不安や動揺は極限に達し,とくに閣内に居た東久邇宮首相や近衛大臣などは,あらゆる方面に手をつくして,責任を免れようと焦り,いらだつようになった」
・「最上級の幹部達が頻繁にマッカーサーのもとを訪れるようになり,みな自分の立場の安全を図ろうとしている」
・「最近の朝日新聞をはじめとする各新聞の媚びへつらいぶりは,本当に嘆かわしいことだ」
・「どれも理性を喪失した占領軍に対する媚びへつらいであり,口にするのもはばかられるほどだ」
・「(東久邇宮内閣の総辞職を受け)幣原内閣は昭和20年10月9日に成立した.その(組閣)計画は吉田外務大臣が行った.吉田外務大臣は,いちいちマッカーサー総司令部の意向を確かめ,人選を行った.残念なことに,日本の政府はついに傀儡政権となってしまった」

2.GHQに追随する吉田茂首相
 ウィロビー著『知られざる日本占領 ウィロビー回顧録』から引用.
 (ウィロビーが帝国ホテル社長の談話という形式で書いていることに留意)
「ウィロビー(GHQ参謀第二部(G2)部長で諜報・保安・検閲担当.後にスペイン独裁者フランコの顧問)は大変吉田びいきだったねえ.帝国ホテルのウィロビーの部屋へ,吉田さんは裏庭から忍ぶようにやって来たりしたよ.裏階段を登ってくる吉田さんとバッタリということが何度かあったな.・・・・あの頃は,みんな政治家は米大使館(マッカーサーの宿舎)には行かず,ウィロビーのところで総理大臣になったり,あそこで組閣したりだった」

3.進駐軍のための『特殊慰安所』設置
 半藤一利著『昭和史』(平凡社)を引用
「進駐軍にサービスするための『特殊慰安施設』が作られ,すぐに『慰安婦募集』がされました.いいですか,終戦の三日目ですよ」
「池田さん(当時大蔵官僚で後に首相となる池田隼人)の『いくら必要か』という質問に野本さん(特使慰安施設協会副理事長)が『一億円ぐらい』と答えると,池田さんは『一億円で純潔が守られるなら安い』といわれた」.
「慰安施設には27日には大森で開業し,1,360名の慰安婦がそろっていたと記録に残っています」

 こうした状況について,重光は以下のように書いている(『続 重光葵手記』より).
「結局,日本民族とは,自分の信念を持たず,強者に追随して自己保身をはかろうとする三等,四等民族に堕落してしまったのではないか」
「節操も無く,自主性も無い日本民族は,過去においても中国文明や欧米文化の洗礼を受け,漂流していた.そうして今日においては敵国からの指導に甘んじるだけでなく,これに追随して歓迎し,マッカーサーをまるで神様のように扱っている.その態度は皇室から庶民に至るまで同じだ」
「はたして日本民族は,自分の信念を持たず,支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする性質を持ち,自主独立の気概も無く,強い者にただ追随いして行くだけの浮草のような民族なのだろうか.いや,そんなことは信じられない.いかに気持ちが変化しても,先が見通せなくても,結局は日本民族三千年の歴史と伝統がものをいうはずだ.必ず日本人本来の「自尊心」が出てくると思う」

 これを受けて孫崎は,
「日本は今,重光の期待した「自尊心」を取り戻したのでしょうか.終戦直後には,重光のような人物がわずかながら日本の社会に存在していました.今日,日本の政治家で重光のような矜持をもつ人はいるでしょうか.事態は終戦直後よりもはるかに悪くなっているのです」と書いている.

 サンフランシスコ講和条約締結で日本が独立した後も,吉田茂が首相の座を占め続け,その対米追随路線は池田隼人,佐藤栄作,中曽根康弘,小泉純一郎,そして安倍晋三へと引き継がれている.
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Thinking, Fast and Slow

 上のタイトルは2011年にDaniel Kahnemanによって書かれた本の題名で,2014年に村井章子によって訳され,「ファスト&スロー」という題名で早川書房から出版された.この著者は心理学者だがノーベル経済学賞の受賞者という変わり種だ.経済学では原子のように皆同じように行動する“エコン”という人間を仮想して理論を組み立てるそうだが,そんなことはないよということをこれでもかこれでもかと経済学者達に突きつけて大きな影響を及ぼしたという.
 さて,人間の頭の働かせ方には“fast”と“slow"という2種類があるという.fast頭脳は,パッと見て即座に判断するが,slow頭脳はデータを分析し,思考して結論にもっていく.そう言われれば確かにそうだ.若い頃に時々バーに行くことがあったが,若いママは自分の店を持ったばかりだったので,気が張って多少ピリピリしていた.ドア開けて客が入ってくると,チラッと見てパッと品定めをするようなのだ.聞いてみると,どんな客か分からなければ応接できないという.それは尤もだが,品定めを数秒間でやってしまうことに興味を持ったのだ.いや,通ったのはママがしゃきしゃきした美人であったためだが(仙台の有名クラブのナンバー2だったそうだ).
 slow頭脳の典型は研究者だろう.母ちゃんをだっこだっこしながらも,ナンデ気持ち良くなるんかなーなどとついつい思ってしまう.これでは病気人間だ.fast頭脳の方がホントの人間のように思えるのは,こっちの方が古くから鍛えられてきた頭だからだ.いちいち分析してあーでもないこーでもないなどとやっていたらライオンの餌食になってしまう.それにしても,fast頭脳はどのように頭を働かせているのだろう? とにかく速いのだから,多分パターンマッチングだろう.頭の中にたくさんの下駄箱があって,いろんな経験が整理されて放り込まれている.状況に遭遇したとたんに“あれだ!”といって下駄箱から過去の経験的情報を引き出して当てはめるので,パッと答えが出てくる.
 でもパッと答えを出してしまうだけに,このfast頭脳はたくさんの思い違いをやらかす.ダニエル・カーネマンは,このfast頭脳がやらかすの思い違いや間違いのケースをこれでもかこれでもかと書いている.何せパッと見てパッと答えを出すのだから,楽なのだ.ついついfast頭脳だけの人間になっているかもしれない.fast頭脳の欠陥を自覚していれば,過ちを少なくできるだろうというわけである.なかなか面白いので一読をお勧めする.
 

今の憲法は自分たちが作ったものでないからダメ?

 いよいよ憲法を「変えろ」,「守れ」の声がさわがしくなった.「変えるべき」の理由のひとつに「自分たちで作ったものではないから」がある.この意見は一見もっともらしく聞こえる.単純なだけに心情に響きやすいのだろう.だが,まったく間違っている.
 少し,歴史をさかのぼってみて欲しい.明治維新は欧米の文化に触発されて始まり,積極的に取り入れた.自前のものは多少はあっただろうが,大部分は「自分で作った」のではなく,欧米に学んだのである.「民主主義」や「言論の自由」や「基本的人権」等など,今でこそもはや慣れ親しんでいて当たり前のような雰囲気だが,これも学んだものだ.
 もっと分かりやすいのは自然科学の世界だ.人類はその研究成果の恩恵に浴している.この自然科学の世界では,その研究成果が,どの国の研究者で挙げられようと,有名な研究者であろうと無名であろうと,男・女どちらであろうと,貧乏人であろうと金持ちであろうと,信じている宗教がなんであろうと・・・・・・,そんなことは何~にも問題にされない.要するに最初っからそんなことはどうでもいい.正しいものは正しい,それだけの世界だ.だからこそどんどん進歩する.
 こういう世界と比べれば,「自分たちでつくったもの・・・・」の世界がいかにみみっちいか,すぐ気がつくだろう.私は70歳だが,日本国憲法は高校でしっかり教わった世代だ.日本国憲法に初めて接した時は大いに感動したし,全文暗記した.もちろん大学の入学試験にもどんどん出題された.今,日本国憲法を読んでもみずみずしく,これでなっきゃーというおもいを改めて強くする.
 うまいものはうまいし,良いものは良いのです.

原発扱う電気事業者 安全科学の向上不可欠



東北大名誉教授 大槻憲四郎 (河北新報持論時論 2013年7月29日)

 福島第1原発事故の教訓を踏まえた原発規制新基準が8日に施行され、再稼働に向けてこれまでに4電力会社12基の安全審査が申請された。基準が見直されたことは一歩前進だが、なお問題は山積している。ここでは、原発敷地内の活断層に関わる問題に限って論じる。
 科学に基づく厳正な活断層評価は、原子力規制委員会有識者会合が行ってきた。これまでの有識者会合でのやりとりを観察すると、電気事業者側に2つの重大な欠陥があることを指摘せざるを得ない。そのひとつは自らに不都合な事象から目を背ける傾向があること。もう一つは科学レベルが高くないこと。この2つが相乗して評価に耐え難い結論がひねり出されてくる。以下に具体的に述べよう。
    ◇  ◆  ◇
 ある現象を見たとき、考え得る一つ一つを徹底的に調べ尽くし、最も妥当な成因にたどり着こうとするのが科学の常道である。これに対し、電気事業者側は、自らに都合のよい成因だけに固執する。
 例えば,関西電力は大飯原発(福井県)敷地内の活断層を地滑りによるものと主張した。東北電力は東通原発(青森県)の活断層を粘土鉱物の吸水膨潤によると主張している。しかし、普通の活断層と同様、プレートが押し合う力で形成された可能性が極めて高い。だが、その検討はなおざりにされている。揚げ句の果てに、「活断層でないことを証明するデー夕を追加することに努める」という発言が経営責任者から飛び出す始末だ(2月18日、東北電力副社長の記者会見)。
 日本原電敦賀原発(福井県)では、原子炉建屋の目前250mを浦底断層という活動性の高い活断層が走っている。専門家なら誰でも「よりによって何でこんな所に・・・」というような立地条件だ。ところが、日本原電が浦底断層を活断層と認めたのは、運転開始から何と30年も経た2008年のことである。
    ◇  ◆  ◇
 電気事業者側の科学的レベルの低さも心配だ。関西電力が大飯原発にある活断層を地滑りによるものとした根拠は、他の地滑りの地質構造との単なる絵合わせ的な類似性に過ぎない。証明の仕方が分かっていないのである。
 敦賀原発では浦底断層と交差する多数の小規模断層破砕帯が見つかっていて、
浦屈断層で地震が発生した時、これらが一緒に動く可能性が問題になっている。
地震の動力学的理論は、浦底断層の上で発生した破壊が北から原発敷地に近づいて来る場合に小規模断層破砕帯が動きやすいことを示唆する。しかし、日本原電はそのような検討を行っていない。
 東通原発の活断層について「粘土の吸水膨張説」が正しいなら,岩盤の劣化度と膨潤性粘土鉱物含有量とが相関するはずだ。しかし、彼らの調査データを解析すれば、ほとんど相関が認められない。
 女川原発(宮城県)は3・11の巨大津波の被害から辛うじて免れた。それは869年の貞観地震による津波を考慮して敷地を海抜14.8mに設けたことによる(福島第1では海抜10m)。福島第1と同時に女川原発も津波による壊滅的打撃を被っていたなら・・・
 このことひとつとっても、安全にとって科学がいかに重要かが分かる。原発を稼働する電気事業者が主体的に安全科学の向上を目指さなければ、安全確保はおぼつかない。事業者に原発を扱う資格が認められるのは、上記の二つの欠陥を克服したときである。(投稿)

自由競争のゴールとDLA

自由競争のゴールとDLADiffusion-Limmitted Aggregation:拡散律速凝集)

 自由競争とグローバリゼーションは色々な問題を引き起こしている。競争という言葉は古くから使われてきたが、今日のように頻繁に重みを持って話されるようになったのは最近のことだ。それが市場原理主義とグローバリゼーションの跋扈と密接に結びついていることは、誰もが指摘している。ところが自由競争は十分に科学されてこなかったようだ。生物界には多種多様な競争が知られている。無生物界にも競争がある。その最も単純なものがDLA(Diffusion-Limmitted Aggregation: 拡散律速凝集)である。私は地学の研究者で、断層集団の進化の研究をやったことがあるが、これを支配するのもDLAの一種だ。

 まあ簡単に言えば、次のようなものだ。
空からエネルギーの雨粒がランダムウォークしなから降ってくる。裸の地面には木の種がばらまかれている。たまたま真っ先に雨粒を拾った種が芽を出す。だんだんたくさんの芽が出て成長する。他より早く成長した木はより広く枝を広げるので、その分たくさんの雨粒を獲得して成長する。その木陰になった小さな木は、大きな木の枝の隙間から稀に落ちてくる雨粒しか獲得できないので、成長が遅れる。こんなプロセスが繰り返されると、少数の大きな木の下には少し多数の中ぐらいの大きさの木が、さらにその下には小さな多数の木が・・・・という感じのヒエラルキー(階層性)が出来あがる(下図 T.Vicsec著「フラクタル成長現象」より)。行き着く先は一人勝ちの世界だ。木々のサイズ分布はべき乗則に従い、フラクタル集団を作る。
DLA


 いろいろな複雑なこともあろうが、市場原理主義というのも基本的にはこんなに単純なものだ。このように単純な競争原理がグローバル化したのだから、グローバルなスケールで階層化が急速に進んだ。これを推進したいのは、エネルギーの雨粒ををグローバルなスケールで独り占めできる最上位の階層の者、すなわち米国であるのも当然だ。業種で言えば世界的な金融機関である。
 競争に打ち勝つには技術革新だ、在庫管理だ・・・・ 商品の価格は低下して価格破壊、消費者の喜びもつかの間で、リストラと賃金カットなどが続く。規制緩和で非正規労働者が増加し、子供も作れないし、結婚も出来ない。企業は労働の再生産さえ放棄して競争にひた走ることになる。それだけでも足りない。ヒモ付きの政治家達は、有望企業に注ぎ込む資金を下位の階層から税金として取りたてる。必然的に国力は衰える。このありさまは、まるで自分のしっぽを食いはじめた蛇アウロボロス(下図)のようにグロテスクだ。
Ouroboros

 行き着く先が目に見えているのに、なぜグローバル市場原理主義にストップをかけないのか。人間は、ハーメルンの笛吹き男の不思議な音色に誘われて次々とウェーザー川に飛び込むネズミと同じなのだろうか。企業にとって、競争からの中途棄権は負け組への仲間入りを意味するので、止めるに止められない。これはヒモ付きの政治家も同様で、一部は正しい。しかし、それだけではなかろう。最後まで勝ち組であり続けられる集団が居る。言うまでもなく世界的金融業だ。

2013/01/25
プロフィール

大槻憲四郎

Author:大槻憲四郎
私は数年前に大学を退職した地学の研究者ですが、その後も研究を続行している初老です。
研究が趣味みたいなもので、一種の偏執狂かなー
70年近く生きて来ましたが、常に中心からはずれた所を歩いて来たように思います。そのような変な人間の目から見ても、今の世の中はこれまでになかったほど変だと感じます。どう変なのか、どう理解し、考えをどう変えたらいいのか・・・・知恵を出し合って考えましょう。

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