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Thinking, Fast and Slow

 上のタイトルは2011年にDaniel Kahnemanによって書かれた本の題名で,2014年に村井章子によって訳され,「ファスト&スロー」という題名で早川書房から出版された.この著者は心理学者だがノーベル経済学賞の受賞者という変わり種だ.経済学では原子のように皆同じように行動する“エコン”という人間を仮想して理論を組み立てるそうだが,そんなことはないよということをこれでもかこれでもかと経済学者達に突きつけて大きな影響を及ぼしたという.
 さて,人間の頭の働かせ方には“fast”と“slow"という2種類があるという.fast頭脳は,パッと見て即座に判断するが,slow頭脳はデータを分析し,思考して結論にもっていく.そう言われれば確かにそうだ.若い頃に時々バーに行くことがあったが,若いママは自分の店を持ったばかりだったので,気が張って多少ピリピリしていた.ドア開けて客が入ってくると,チラッと見てパッと品定めをするようなのだ.聞いてみると,どんな客か分からなければ応接できないという.それは尤もだが,品定めを数秒間でやってしまうことに興味を持ったのだ.いや,通ったのはママがしゃきしゃきした美人であったためだが(仙台の有名クラブのナンバー2だったそうだ).
 slow頭脳の典型は研究者だろう.母ちゃんをだっこだっこしながらも,ナンデ気持ち良くなるんかなーなどとついつい思ってしまう.これでは病気人間だ.fast頭脳の方がホントの人間のように思えるのは,こっちの方が古くから鍛えられてきた頭だからだ.いちいち分析してあーでもないこーでもないなどとやっていたらライオンの餌食になってしまう.それにしても,fast頭脳はどのように頭を働かせているのだろう? とにかく速いのだから,多分パターンマッチングだろう.頭の中にたくさんの下駄箱があって,いろんな経験が整理されて放り込まれている.状況に遭遇したとたんに“あれだ!”といって下駄箱から過去の経験的情報を引き出して当てはめるので,パッと答えが出てくる.
 でもパッと答えを出してしまうだけに,このfast頭脳はたくさんの思い違いをやらかす.ダニエル・カーネマンは,このfast頭脳がやらかすの思い違いや間違いのケースをこれでもかこれでもかと書いている.何せパッと見てパッと答えを出すのだから,楽なのだ.ついついfast頭脳だけの人間になっているかもしれない.fast頭脳の欠陥を自覚していれば,過ちを少なくできるだろうというわけである.なかなか面白いので一読をお勧めする.
 

今の憲法は自分たちが作ったものでないからダメ?

 いよいよ憲法を「変えろ」,「守れ」の声がさわがしくなった.「変えるべき」の理由のひとつに「自分たちで作ったものではないから」がある.この意見は一見もっともらしく聞こえる.単純なだけに心情に響きやすいのだろう.だが,まったく間違っている.
 少し,歴史をさかのぼってみて欲しい.明治維新は欧米の文化に触発されて始まり,積極的に取り入れた.自前のものは多少はあっただろうが,大部分は「自分で作った」のではなく,欧米に学んだのである.「民主主義」や「言論の自由」や「基本的人権」等など,今でこそもはや慣れ親しんでいて当たり前のような雰囲気だが,これも学んだものだ.
 もっと分かりやすいのは自然科学の世界だ.人類はその研究成果の恩恵に浴している.この自然科学の世界では,その研究成果が,どの国の研究者で挙げられようと,有名な研究者であろうと無名であろうと,男・女どちらであろうと,貧乏人であろうと金持ちであろうと,信じている宗教がなんであろうと・・・・・・,そんなことは何~にも問題にされない.要するに最初っからそんなことはどうでもいい.正しいものは正しい,それだけの世界だ.だからこそどんどん進歩する.
 こういう世界と比べれば,「自分たちでつくったもの・・・・」の世界がいかにみみっちいか,すぐ気がつくだろう.私は70歳だが,日本国憲法は高校でしっかり教わった世代だ.日本国憲法に初めて接した時は大いに感動したし,全文暗記した.もちろん大学の入学試験にもどんどん出題された.今,日本国憲法を読んでもみずみずしく,これでなっきゃーというおもいを改めて強くする.
 うまいものはうまいし,良いものは良いのです.

規制委・島崎氏の交代 原子カムラ回帰は論外

東北大名誉教授 大槻憲四郎 (2014年6月27日付け 河北新報 持論時論) 

  原子力規制委員会の島崎邦彦委員長代理が主導する有識者会合は、青森県の東通を含む6つの原発敷地内活断層に関わる安全評価を行っている最中である。
 11日、島崎氏らを交代させる人事案が参院本会議で可決、承認された。原発再稼働を望む電力会社や政財界の一部には、島崎氏の判断が「厳し過ぎる」との不満がくすぶっていて、今回の人事を歓迎するムードが漂っていたという。
 私は、昨年1月18日の持論時論に「活断層評価システム 監視怠らず変質回避を」と題する一文を投稿したが、早くも危惧していた事態に立ち至ったようである.原発敷地内活断層の安全性評価に関わる要点をあらためて述べ、この人事を批判する。
    ◇  ◆  ◇
 第一に、安全性評価はエネルギー政策や地域経済などとは別次元の問題であり、透明性を確保し、科学技術的基準のみに基づいて厳正に行うべきものである。有識者会合で配布された調査資料と会議の一部始終は原子力規制委のウェブサイトに公開されており、評価は科学的におおむね正しく行われていた。厳し過ぎるとの指摘は子どもじみた不満であって、用地買収を先行させ、立地条件の吟味をなおざりにしたまま原発を建設してきたつけが回ってきただけのことである。
 第二に、「原子力ムラ」への回帰は許されない。昨年5月23日に開かれた原子力規制に関する自民党のある会合では、「3条委だから何をやってもいいわけではない」とか「まるで『糸の切れたたこ』だ」という非難が述べられたという(昨年6月1日河北新報朝刊1面)。このような非難の意を汲んだのが今回の人事であるのなら、論外である。原子力規制委は、福島第1原発事故の反省に立ち、国家行政組織法第3条に基づき、省の外局として置かれる独立性と中立性の高い行政組織としてつくられたものであり、「糸」で操られてはならないのである。
 昨年7月29日の持論時論で指摘したように、現在の活断層評価作業の問題点は ①原発事業者側の断層や地震に関する学術的レベルが相当低い ②自らに不都合な事実から目をそむけ都合の良い部分だけに固執する という二つの要素が相乗し、評価に堪えない結論がひねり出されることなのである。
 従って、第三の要点は、原発を稼働する事業者が自らの科学技術のレベルを向上させ主体的に取り組まなければ、安全性の確保はおぼつかないということである。その良いお手本はすでにある。かつて東北電力の常務だった阿部寿氏らは、869年の貞観津波に関する自らの調査結果に基づき、女川原発敷地の海抜を福島第1原発より4.8m高い14.8mに引き上げた。この英断が3・11巨大津波の際に両原発の明暗を分けた。有識者会合が事業者側に一定以上の科学レベルを要求するのは当然なのである。
    ◇  ◆  ◇
 島崎氏は地震学会会長、地震予知連絡会会長を務めた著名な地震学者であるだけでなく、長年にわたって地震学と地質学・地形学との橋渡しにも尽力し、広い学問的視野を備えた替え難い人材であった。島崎氏の代わりを務めるという東北大の石渡明教授(前日本地質学会会長)の専門は岩石学であり、断層や地震に関する論文はほとんどない。このところNHK会長、内閣法制局局長などの「お仲間人事」が続いたが、こんなことを続けてよいはずはない。
(投稿)

原発扱う電気事業者 安全科学の向上不可欠



東北大名誉教授 大槻憲四郎 (河北新報持論時論 2013年7月29日)

 福島第1原発事故の教訓を踏まえた原発規制新基準が8日に施行され、再稼働に向けてこれまでに4電力会社12基の安全審査が申請された。基準が見直されたことは一歩前進だが、なお問題は山積している。ここでは、原発敷地内の活断層に関わる問題に限って論じる。
 科学に基づく厳正な活断層評価は、原子力規制委員会有識者会合が行ってきた。これまでの有識者会合でのやりとりを観察すると、電気事業者側に2つの重大な欠陥があることを指摘せざるを得ない。そのひとつは自らに不都合な事象から目を背ける傾向があること。もう一つは科学レベルが高くないこと。この2つが相乗して評価に耐え難い結論がひねり出されてくる。以下に具体的に述べよう。
    ◇  ◆  ◇
 ある現象を見たとき、考え得る一つ一つを徹底的に調べ尽くし、最も妥当な成因にたどり着こうとするのが科学の常道である。これに対し、電気事業者側は、自らに都合のよい成因だけに固執する。
 例えば,関西電力は大飯原発(福井県)敷地内の活断層を地滑りによるものと主張した。東北電力は東通原発(青森県)の活断層を粘土鉱物の吸水膨潤によると主張している。しかし、普通の活断層と同様、プレートが押し合う力で形成された可能性が極めて高い。だが、その検討はなおざりにされている。揚げ句の果てに、「活断層でないことを証明するデー夕を追加することに努める」という発言が経営責任者から飛び出す始末だ(2月18日、東北電力副社長の記者会見)。
 日本原電敦賀原発(福井県)では、原子炉建屋の目前250mを浦底断層という活動性の高い活断層が走っている。専門家なら誰でも「よりによって何でこんな所に・・・」というような立地条件だ。ところが、日本原電が浦底断層を活断層と認めたのは、運転開始から何と30年も経た2008年のことである。
    ◇  ◆  ◇
 電気事業者側の科学的レベルの低さも心配だ。関西電力が大飯原発にある活断層を地滑りによるものとした根拠は、他の地滑りの地質構造との単なる絵合わせ的な類似性に過ぎない。証明の仕方が分かっていないのである。
 敦賀原発では浦底断層と交差する多数の小規模断層破砕帯が見つかっていて、
浦屈断層で地震が発生した時、これらが一緒に動く可能性が問題になっている。
地震の動力学的理論は、浦底断層の上で発生した破壊が北から原発敷地に近づいて来る場合に小規模断層破砕帯が動きやすいことを示唆する。しかし、日本原電はそのような検討を行っていない。
 東通原発の活断層について「粘土の吸水膨張説」が正しいなら,岩盤の劣化度と膨潤性粘土鉱物含有量とが相関するはずだ。しかし、彼らの調査データを解析すれば、ほとんど相関が認められない。
 女川原発(宮城県)は3・11の巨大津波の被害から辛うじて免れた。それは869年の貞観地震による津波を考慮して敷地を海抜14.8mに設けたことによる(福島第1では海抜10m)。福島第1と同時に女川原発も津波による壊滅的打撃を被っていたなら・・・
 このことひとつとっても、安全にとって科学がいかに重要かが分かる。原発を稼働する電気事業者が主体的に安全科学の向上を目指さなければ、安全確保はおぼつかない。事業者に原発を扱う資格が認められるのは、上記の二つの欠陥を克服したときである。(投稿)

活断層評価システム 監視怠らず変質回避を

東北大名誉教授 大槻憲四郎 (河北新報 2013年1月18日付 時論持論)

原発問題に絡んで、活断層が議論されている。活断層か否かを判断する方法の一つに、それが第四紀(約260万年前から現在までの時代)の地層をずらしているかどうかを調べるやり方がある。
 東北電力自身による東通原発(青森県東通村)の敷地内調査によれば、第四紀より古い時代に形成された主要な正断層の破砕帯に沿っては、観察地点の40%にも達するポイントで第四紀層に何らかの変形が認められ、その一部は小規模な逆断層やたわみなどであるという。古い断層破砕帯から離れた所にも明瞭な逆断層性の小断層が発見され、11万年前以降に活動した証拠も示されている。
 昨年12月、「原子力規制委員会有識者会合」の専門家たち全員が、活断層の可能性が高いと判断したのは当然なのである。
   ◇  ◆  ◇
 東北電力は、上記の変形が活断層ではなく、岩石に含まれる粘土鉱物の吸水膨張によると主張してきた。しかし、これは説得力に欠ける。
 第1に、岩石の膨張を示す直接的証拠が示されていない。第2に、風化度の異なる岩石の密度差を全て膨張量とみなしたこと。第3に、粘土鉱物の膨張による力で断層が形成されたことを証明するには、断層付近の粘土鉱物含有率分布図のような定量的データが必要なのだが、それが不十分である。
 以上のことも含め、東北電力の主張は、随所に科学的根拠の薄弱さが目近つのである。
 日本原電敦賀原発に続いて東通原発に関しても、原発設置を認可した時の活断層評価が原子力規委員会有識者会合によって覆される可能性が高くなった。
 新しい評価システムにはこれまでにない特徴がある。
 まず、有識者は開運学会から推薦され、過去にこの種の評価に手を染めたことのない人たちの中から選ばれた。そして、原発に対する賛否から離れ、科学の問題に徹して厳正に評価が行われている。さらに、事業者側の主要な調査データを原子力規制委員会のウェブサイトに公開し、会議の様子も動画投稿サイトYouTubeで見ることができるようにするなど、かつてない透明性が確保されている。
 筆者も公開されている全資料を検討したが、いずれの原発に関しても有識者会合の見解を支持する結論に達した。立地自治体では地域経済への打撃を心配する声もあるが、活断層評価はあくまでも科学の領域であり、両者を一緒くたに議論すれば、失敗を繰り返すことになる。
   ◇  ◆  ◇
 とはいえ、なぜ、こうも原発設置許可時とは異なる評価結果が出るのか。敦賀原発に関して言えば、敷地付近の地形図を見ただけで活断層の存在を疑うべき場所だった。その活断層は、原発建屋の目前250mを通過していて、今ではマグニチュード(M)7.4程度の地震を起こし得る長大な活断層帯の一部であることが分かってきた。そのような経過を考えれば、原発設置許可時の活断層評価に 「原子カムラ]の害悪が及んでいたのかと疑われる。電力会社にも地質調査会社にも専門家はいるが、彼らが原発建設の障害になるような結論を出せる立場にないことは自明であろう。
 新しい評価システムが変質してはならない。そのために、われわれは怠りなく監視し続ける必要がある。(投稿)
プロフィール

大槻憲四郎

Author:大槻憲四郎
私は数年前に大学を退職した地学の研究者ですが、その後も研究を続行している初老です。
研究が趣味みたいなもので、一種の偏執狂かなー
70年近く生きて来ましたが、常に中心からはずれた所を歩いて来たように思います。そのような変な人間の目から見ても、今の世の中はこれまでになかったほど変だと感じます。どう変なのか、どう理解し、考えをどう変えたらいいのか・・・・知恵を出し合って考えましょう。

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